SNSでバズらせない集客という選択肢
バズは設計できる。それでも選ばないという判断がある。届く量を増やすことと、届くべき相手に届くことは別だという話。
バズは、ある程度まで設計できます。
感情の動かし方、意外性の置き方、共感を集めるフレーズの選び方。伸びる投稿には型があり、型に沿って設計すれば、一定の確率で拡散します。運の要素は残りますが、確率は操作できる。これは技術の話です。
その技術を持っている側から書きます。私たちは、それを選びません。
届く量と、届く相手
SNS集客の目標は、たいてい「届く量」で設定されます。表示回数、フォロワー、拡散数。数えられるものが指標になるのは自然なことです。
ただ、量が増えたとき、何が起きているか。
拡散は、対象を選びません。バズった投稿は、その商品やサービスを必要としている人にも、まったく必要としていない人にも、同じように届きます。届いた総量のうち、意味のある割合がどれだけあるか。多くの場合、それは測られないまま「リーチが伸びた」という報告になります。
一方で、届くべき人に届いているかどうかは、数字にしづらい。10万人に見られた投稿より、300人に届いた投稿のほうが事業に効いていた、ということは珍しくありません。けれど後者は成果として語りにくく、だから語られない。
量を増やす技術と、相手を選ぶ判断は、別のものです。前者は設計できます。後者は設計ではなく、決断です。
拡散が持ち込むもの
拡散には副作用があります。
話題として届いた人は、話題として消費します。関心は投稿に向いていて、その先にある事業や店には向いていない。だから話題が過ぎれば離れます。これは相手が不誠実なのではなく、届き方がそう設計されていたというだけです。
そして、拡散で入ってきた人の量が一定を超えると、もともとその場所を選んでいた人の居場所が変わります。静かだった場所が静かでなくなる。それを歓迎する事業もありますが、静けさ自体が価値だった事業にとっては、成果ではなく損失です。
バズは、届く量を増やす代わりに、届く相手を選ぶ権利を手放す取引でもあります。
79年の店で、しなかったこと
ひとつだけ、手元の例を書きます。
私は神戸で、1947年から続くバーを経営しています。79年ぶんの時間がそのまま空気になっているような店で、席数は多くありません。
この店の集客で、バズを狙った投稿はしていません。割引も、映えを作り込んだ撮影も、影響力のある人に紹介してもらう施策も、していない。やり方を知らないからではなく、効果が出るとわかっていて、それでもやらないと決めました。
拡散で席が埋まった夜に、静かに飲みに来た人が座る場所がなくなる。その一夜の売上と引き換えに失うものが、79年の側にある。そう判断しただけです。
代わりにやったのは、店をそのままにして、届く範囲だけを広げることでした。検索したときに正確な情報が出るようにする。写真を実際の空気が伝わるものに差し替える。開いている時間を正しく伝える。地味な作業ですが、これは店の性質に一切触れません。
引き算のほうが難しい
やらないという判断は、やる判断より難しいものです。
施策を実行すれば、少なくとも動いたという事実が残ります。数字が出れば報告できるし、出なくても試したことにはなる。一方で、やらなかったことは何も生みません。判断が正しかった証拠も残らない。
だから多くの場面で、迷ったときは「とりあえずやる」が選ばれます。悪い選択ではありませんが、積み重なると、その事業が何であったかがぼやけていきます。足すことでしか前に進めなくなる。
引き算は、何を守るかが決まっていないとできません。守るものが明確な事業ほど、選ばない理由をはっきり言えます。
選ばない、という技術
私たちは、バズを設計できないから選ばないのではありません。設計できるからこそ、選ぶかどうかを判断できると考えています。
できないことは、選択になりません。できるうえでやらないときにだけ、それは判断になります。
COCTOは、事業に必要なものを見極め、必要のないものを削るところから関わります。何を足すかより、何を足さないかを一緒に決める仕事です。
届く量を増やしたい方には、他に良い選択肢があります。届く相手を選びたい方は、一度お話しできればと思います。